|
評価:
宮部 みゆき
|
いやあ〜〜〜、長かったああああああ。
第一声は、まずそれですね(笑)
いやあ、とにかく長いっ。正直、疲れましたよ。
急いで読もうとしたから。
え?なんで急いで読もうとしたのか?
勿論、
オモシロカッタカラ、
ですよ。
この「オモシロカッタカラ」をあえて、片仮名にしてみたのは、
ピースっぽいかなあ、と思って(苦笑)
よく、恨みつらみで人を殺すんじゃなくて、いわゆる愉快犯
なんかを描いたような描写なんかに、犯人の魂の無い台詞、
人間味の無い部分を匂わせる会話なんかに、片仮名が使われて
ますが、ちょいと真似してみましたです(笑)
いやあ、長いはずですよ。これ。
だって、作者の宮部さんは、何年もかけて連載してたらしい
ですからね、この作品を。
そんな、何年もじっくりかけて書いたこの小説を、1日2日
で読めるわきゃーないんですよ。
文庫本では5巻まであって、単行本では上下巻。
単行本で読んだのですが、それぞれ700ページくらいあって、
1ページに2段になってかかれてますから、長編大作です。
(長編大作っていうと、まるで歴史・史実物っぽいですが、
これはミステリーです)
上巻の前半は、誰のものか分からない右腕や、捜索願が出されて
いる女性のポーチが、公園のゴミ箱から発見されたところから
始まります。まずこれらのシーンから、胸元をドン!!と強く
何かに押されたような重い衝撃を受けます。
そして、その家族が、「その腕はわが子のものではないか?」と
怯え、また「違うかもしれない」「いや、違った」と情緒を不安定
にさせるような展開があり、読むのを止められなくさせられてしまい
ます。
もう、古川鞠子(こうやって、登場人物の名前を書きながら、
まるで現実にこれらの事件があって、古川鞠子が存在でもして
いたかのような錯覚に陥りそうになりますが、それくらい引き込まれ
るのです)の母・真知子と有馬義男の登場する場面は、
前半で大きく引き付けられた部分ですね。真知子の心理状態が、
読み手の自分にも強い波動となって、衝撃を与えてくれます。
上巻の前半は、そうやって始まり、また様々な失踪者の物語が
描かれています。
が。
何故か2部で、栗原浩美が登場すると、自分の中で突然トーン
ダウンしました。それまでの強い引きつけからパッと手を離された
ように、色で例えれば黒から水色へと変わったくらいの穏やかな
スピードになるんですね。
まあ、それは嵐の前の静け的と言ってもいいのかもしれませんが。
個人的には、この辺で一度、だれてしまいました。
なんせ、その水色の部分が数百ページあるのですから(笑)。
そもそも宮部さんの作品の中で、この作品はとくに、情景描写
や登場人物の心理状態、心の中の思いが細かく細かく表現されて
いて、一つの会話の前に、その人物の思っていることが2ページ
にも3ページにも分析のように書かれているので、読むことに
疲れてしまったのかもしれません。
それは、ある登場人物たちの原点を描いているシーンだったので。
そのシーンに何百ページと費やされているので、きっと読むことに
疲れてしまったんですね(苦笑)。
他の宮部さんの小説では、ほどよい感じでの描写なんですが、
これは長期連載のものですから、そうなってしまったのかもしれ
ません。
下巻では、やはりカズと山荘の辺りでは、食いつくようにして読め
ましたし、”建築家”の登場もこの辺は推理物として、非常に説得力
ある推理展開として楽しめましたね。
一度あの、建築家を主人公にした、建築推理物なんか読んでみたい
です!
(これってまるで、ジェフリー・ディヴァーの筆跡鑑定人キンケード
シリーズみたいになって面白いかもと)。
しかし、宮部さんの作家としての文章力は、もう言うまでもない
のですが、この”調査力”もすごいな、と感じさせられたのが、
この建築家の登場場面と、ガミさん登場場面でしたね。
これは、彼女の労力に拍手!です。
で、下巻の半ばでの模倣犯ピースの独演では、実はそんなに
楽しめなかったんですよ。
実はね、ピースの取った行動の中で、
独演以外はある程度、
共感できる部分があったんです。だから驚きながら、感心しながら
また動揺しながら読めたのだと思います。
でも独演となると、リスクを犯してまでエスカレートして
自分に酔っていくピースの心理や行動が、実はあまりピンと
こなかったんですよ。だから、下巻のほうは、惹かれなかったの
かもしれません。
では、人を殺したいとか、そういう感情が共感できるのかというと
殺したいことが共感できるわけではありません。
人間には、「人の上に立ちたい」「主導権を握りたい」という
感情が存在していること、そしてそれを駆使してやりたいという
怒り・羨望・恨みなんかがあると思うのです。
それを実行に移すほどの感情があるのか、きっかけがあるのかは
別ですが。そこに共感をしたというか、そういう部分が自分にも
あることを認識させられるというわけですね。
ピースや栗原を通して、改めて認識させられたんですよ。
栗原たちの持つプライドは、実は特別なものではなく、私達の
誰でもが持つものだと思っています。
このプライドは自尊心という部類だけのものではなく、別の面である
「自己中心」「うぬぼれ」「尊大」という形になって、私達の
生活のあちこちに顔を出しています。
これらの「プライド」は、本質的に闘争的な性質を持っている
ものです。ですから、このプライドは、自分より力のある人の
存在を認めることを難しくさせます。
認めれば、自分の立場が低くされた、と感じるからです。
これらは、相手への「敵意」となって現れ、反抗・反発・すぐに
怒る、相手に合わせることなど絶対にしたくない、といった
形で現れます。
これらの性質があらわになってきた人々は、
人々が自分の考えに同意するよう願い、求め、また皆に合わせて
自分の考えを変える、といったことは念頭にありません。
そして、それがエスカレートすれば、その人の上に立とうと、
人をおとしめようとすることもあるのです。
こういった人々は、何かを所有しただけでは満足しません。
相手より多く持って初めて満足するのです。
すなわち、自分は相手よりも優れているのだ、という優越感。
これらは、ピースと栗原に投影されているのです。
自分の姿が、彼らとなって・・・。
模倣犯の犯人達は、決して特別ではないのかもしれません。
極端な言い方をすれば、条件が揃ってしまえば、誰でもピース
たちになりえるのです。
そして、誰もがまた被害者にも・・・。
しかし、この本が映画化され試写会が行われたときに、作者の
宮部さんは途中で帰ってしまったという話があります。
いやいや、それは当然であり、でも宮部さんも悪いんですよ。
何故かって?
だって、森田芳光(呼び捨て)が監督する作品だって聞いた
時点で断らなきゃ!(爆)
あんなくだらない映画ばかり作る監督も珍しい、と思っている
のですが、彼が模倣犯を映画にしたと聞いて、こちらもがっかり
でした。あ〜あ。
でも、この本自体は十分楽しめますよ。
なかなか奥の深い小説でした。
被害者や遺族の心理、小説家を目指す人々へのメッセージ、
宮部さん自身の体験と思いであろう、物書きを仕事とする
いや、仕事としようとする人の希望と不安も、メッセージとして
ちりばめられていたと思います。